坂道のある風景

saka-huukei.JPG街中に坂道のある風景って好きだな。

 坂の上に電車が走っていたり、坂の下を川が流れていたり、そんなシチュエーションにフックの入った生活感のようなのを感じるです。
 もっとも、「当事者」として坂道を登ったり下ったりするのは、かなりの運動量なので「直の生活圏」としては、坂道生活圏はご遠慮したい。眺めるのがいい。

わがまま言ってすんません。


で、写真の場所は「眺めるポイント」の一つ。(^^;


 例えば、子供達が夕方遅くまで遊んでいると、何処からともなくお風呂を沸かす煙突から出る煙の匂いやら、家庭家庭から出てくる食卓の匂いが辺りを支配する。そういうのに誘われて、坂道界隈から三々五々に子供達が解散して行く。一方で坂を一生懸命に自転車を漕ぎながら登る男の子がいる、引いて登る女の娘もいる、ステテコに腹巻のおっさんが坂の途中で一服している、そういうのを僕は遠巻きに見ている。
そんなある過去の風景。
そんなレトロな空気がフラッシュバックしてくる。
実体験がないクセに、自分の勝手なイメージが膨らむのだ。




 あ、そうそう、「坂道」と言えば、小椋佳を思い出しました♪


夢追い.jpg小椋佳 - 坂道

「誰かが上り坂と言い、誰かが下り坂と言う、
 僕にはどちらかわからない、僕にはわからない♪」

 昔、生ギターを弾きながら友達と一緒にこの歌を歌っていたことがある。
とある大人に「意味のない歌詞だな」と一刀両断されたっけさぁ。
何かの比喩として「深い歌詞」なんだと思っていた僕達。しかし、僕達も何の比喩なのかが分からず、反論できなかった。
確かに、正面から読んでしまうと、ばかばかしい歌詞に読めてしまう。坂道に対して、上り坂なんだろうが下り坂なんだろうが、んなことどーでもいいのだし、そもそもそんな「問い」に答えなんか無いのだから。
この歳になって、概ねそれが「人生」の例えのひとつのような・・・そんな分かった風な理解をし始めている。
合ってるかな?
詩の解釈は各人自由だしね(^^;

 それにしても、このアルバムはゴージャスな面々だった。海外の錚々たる面々なのでした。ジム・ゴードンはいるわ、リー・リトナーはいるわ、ジョー・サンプルはいるわ・・・もうもう、ハイ・クオリティ以外の何ものでもありませんでした。1975年にしてこの完成度は凄すぎだった。これで何故に小椋佳さんなのか?と。




小椋佳さんと言えば、この他に個人的にはどうしても外せない曲がある。
ついでなので、語らせてちょーだい。


残され.jpg小椋佳 - 糸杉のある風景

この、何と言うか、目を閉じれば一面に広がる草原チックな疑視観。
不思議と煌く光や風を感じるのです。

 ベースに細野晴臣、ドラムスに林立夫高橋ユキヒロさんとか。その他「Following Artist」として、星勝、安田裕美、深町純矢野誠井上陽水高中正義、告井延隆、鈴木明子(顕子)・・・要するにこちらは、当時の国内の錚々たる面々。




70年代の中頃における小椋サウンドは、とっても凝っていたのでした。
曲の好き嫌いはあると思うけれど、聴いておいて損は無いと思うよ。

ちなみに、「坂道」が挿入されているのは「夢追い人」というアルバム。
「糸杉のある風景」が挿入されているのは「残された憧憬」というアルバムです(こっちのアルバムに至っては、アルバム構成がプログレっぽい組曲になっている)。

海外トップクラス・アーティストで固めた前者アルバムにせよ、国内トップクラス・アーティストで固めた後者アルバムにせよ、この2枚は本当に贅を尽くしたアルバムですな。




カルトQ;「残された憧憬」に入っている「白い一日」という曲は、井上陽水で有名ですが、ほんの一箇所だけ、小椋さんは歌詞を変えて歌っているんですよ(以上、マニアネタでした・・・笑)