時代の流れとキーホルダー

最近じゃあんまりキーホルダーに拘ることはなくなったけれど、少年期は随分とこだわったものでした。


もっとも、私は本来の目的である「鍵」を持っているわけではなく、キーホルダーはただの飾りと化していたんですけどね。(鍵っ子に憧れてた当時、親に家の鍵のスペアをくれと言ったら、無碍もなく断られたっけ…)


なんで、キーホルダーに憧れたんかと言うと、、、スパイものの映画やドラマ、アニメ等の影響もあって「自分用のキーホルダー」をセットアップしたくてたまらなかったんだと思う。


リングにぶら下げたメインのアイテムは、「折りたたみナイフ(今じゃこんなの持ち歩いていたら職員室直行だな)」「ピン・スポット・ペンライト(5段ぐらいで伸びるやつね)」「鈴」「匂い袋」であった。鈴と袋の必然性は何だったか? 忘れた。


とにかく何だかぶら下げていたかったのですな。ランドセルとかにね。。


ある日、神社仏閣にお参りに行った時、キーホルダーのアイテムを一つ買ってしまった。
それが「おみくじ」でした。
このキーホルダーは、ひとしきりのスティックが入っているブリキ製の小さな筒でしてね、大吉が出てくることよりも凶が出てくる回数の方が多かった気がするですよ。
それだけに大吉が出るととても嬉しかったさ。


そして、それがきっかけみたいになって、旅行とかに出かけるたびに、何やらキーホルダーのアイテムが増えるようになってしまった。


そう、時代が時代なら、ケータイのストラップに色んなのが増えるのとおんなじような傾向なのかもしれない。


そうやって考えると、どんな時代であっても、形に多少の違いはあるにせよ、やろうとしていることは案外いつもおんなじようなものばかりなのかも知れない。



段々街の明かりにエックスマスな変化が生じてきた。


思えばケーキって、ショートケーキが好きな私で、しかも一つ食べればお腹充分、、ってか、不二家で慣れ親しんだ経験からか、こじゃれた甘さの気取った奴は値段ばかり張っていて、ひとっつも美味いとは感じないんだよね。
ベーシックなところが固まると、時代の流れの変化を嫌うケースもあるようですわな。
最近、歯の溶けそうなギットンギットンのクリームのケーキって少なくなったよな。