空気感とか辺りの明るさとかに感じたこと。。

201105amasake.JPGその土地その土地に、その土地ならではの空気の匂いのようなものがある。

それもひとつの「雰囲気」の一部を醸しているのだと思う。

私の場合、自分が生まれ育った環境が寺町の近くであったこともあり、参道に居並ぶお店から出てくる様々な匂い(漬物の匂い、せんべいの匂い、甘酒の匂い、おもちゃの匂い…etc)と、お線香の匂いやらが混ざった独特の空気に触れると、その場所が何処であれ、昔の自分の生活圏の空気感を思い出してしまう。

で、そんなわけで、とある場所で幼少時代のことを思い出した。


201105gaitou.JPGそういや、自分の幼少時代、夜は暗いのが当たり前だった。
なので、皆、外で遊びまくっていても、夕方には急いで家に帰ったものだ。
暗くなってしまえば、友達の顔もだんだん判断し難しくなってくる。
というか、辺りが真っ暗になってくるというのが、純粋に怖かった。
夜って、怖いものだったんだよ。

それが昨今ではどうだ。

至る所、物凄く明るい夜なんだよね。
自分の田舎も昔のような暗さは殆ど無くなってしまったと思う。
色んなところに街灯が多く設置され、一つ一つの明るさもかなりピッカリ。
防犯上、明るい方がいいと言うのは判る気もする…が、それってどうなんだろう?
震災からこっち、なんか、そんなことも考えるようになった。

そりゃ確かに明るい方が良いかもしんないけど、以前の暮らしの基準に当てはめれば、夜に出歩くことの方が実はヘンなのであって、ちょっと要領よく立ち回れば、大体、出かけなければ済むものじゃないかな?
50歩譲って、出かけたってかまやしない。でもね、とにかく夜とは暗いものなのである。それを常識とすることって、当然のことのように思う。

そういうとこ、「当然」が変わってしまったんだよね。
良い変わり方じゃない気がする。
当然のことを、当然じゃなくしてしまっていると言うのは、ある種の人間の側のご都合主義のようにも見えてくるのだもの。


そういや、そのかわりと言っちゃ何だが、朝は早かった。
それはそれで気分が良かった(起きるのは辛かったけど・・・苦笑)。

寺の皆さんが朝の掃除をして、落ち葉などをかき集めて焚火したり、それが朝靄と混ざってえも言えぬ光景を作っていたっけ。。



生活の基準・タイムテーブルをどこに置くのかと言うこと。

そういうのももう一度考えてもいい時期ではないだろうか?

そんなことを思ったんだ。