地震の後、東京駅から大田区まで歩いて気づいた色々

先ずは、今回の震災で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。早く復旧が進みますように。。


 今回の地震により、交通機関がマヒし、その結果私は自宅までの徒歩帰宅をするという生まれて初めての選択を行いました。
 そこに至るまでのプロセス、道中、気づいたことや要点など、感じたことを記憶が新鮮なうちに自分に対しての備忘記録の意味も含めて、記事りたいと思います。


午後3時近く・・・15分くらい前だったろうか?


 私は東京駅北口を出て数分のところにある、築年数の古い9階建てのビルの7階に勤務している。
「ズン・・ズン・・」の揺れを感じ、「また、地震か・・・」などと悠長に構えていたら、突然「グラン…!グランッ!」と大きな揺れが襲ってきた。
「ち・・・ちょっと!、これはっ!?」と思う間もなく、揺れはどんどん加速。
建物全体が「ミシッ!ギシッ!」と今まで聞いたことのない悲鳴を上げ始め、マジな身の危険を感じた。足元に置いてあるバッグと一緒に机の下に隠れたものの、自分の座っている位置は、フロアーに何本かある柱のうち、4本の柱の対角線の交点の部分。すなわち、「面」としての床の一番もろい部分だ。
避難ポイントって、机の下ってのは鉄則かもしれないけれど、「この」机の下はまずい!・・・と思い、窓ガラスのない壁際に異動。天井から何か落ちてくる不安はあったが、それよりも床が抜ける不安の方が大きくて、結局その位置に自分を収めた。。。これで収まるのを待っていたのだが、…収まらないっ!

 10秒やら20秒程度の地震なら驚くことはそれほどでもないと思うけど、これが60秒…1分以上近くも、「グランッ!グランッ!」と揺れると、恐怖する。
窓の外では悲鳴も聞こえるし、近所の建築途中の屋上クレーンがメトロノームのように揺れているし、、、
とにかく天気が「晴れ」なだけで、それ以外の部分が一気に非日常になった。


 先ずは千葉の実家に電話、安否確認。揺れてる最中に電話するってのも何だけど、この時は通じた「こっちも凄い揺れだが、何とか大丈夫だろう。。そっちはどう?」「いやぁ、物凄い揺れだ、建物が倒壊しちゃうかもしんないけど、何とかしのいでほしい」そんなやり取りをした。思えば、その時点で電話したのは良かった。その後、まるで電話が通じなくなる状態になる。


 強烈な揺れが過ぎた後、ひっきりなしに余震が来る。。。これ、吐き気をもよおす。
頑丈な金庫は移動しちゃうし、立てかけてあった色んなものは落っこちちゃうし、さてどうしよう?


 ともかく、建物の中が安全とは言うけれど、この古いビルの悲鳴を聞いた後だと、中にいるのが安全なのか、外に出た方が安全なのか分からなくなる。
 たまたまその時、お客さんで建築設計に携わっている方がおられて、その方が「外にでたほうがいいでしょう」と仰ったので、社員全員、外へ出た。


 事務所ビルのあるところは外堀通りという、比較的大きな通りに面しているのだが、沢山の人たちが中央分離帯(正確には分離帯はなく、単に中央なのだが)に集まっていた。
建物の外で気を付けるは窓ガラスの破片でけがすることであることをみんな知っている。
しかし、辺りは高層ビルが林立しており、たとえ道路幅の広いところの中央部分に集まっても、完璧に被害を避けることはできない。
それでも、一番被害が少なくて済むであろう場所を、人は生理的に判断するのだろう。余震は続いていたが、地上に出たこと、立っていたことなどからそれほど大きくは感じなかった。


 後に、今回のこの地の揺れは震度5弱という風に報道されたが、少なくとも私の今までの経験では感じなかった恐怖であることから、震度5強以上のものであったと思うなー。7階だったし、強烈なコンクリートの悲鳴からくる精神的震度ってのが多分に作用したのかもしれない。


 さあ、もうこれでは仕事にならない。会社は閉店状態にした。
JR・私鉄は全線ストップ。おそらく本日中の再開の見込みはないだろう・・・ってか、よしんば動き出しても、線路の途中で余震でストップしたりしてロック状態になってしまうのはイヤだ。
帰れる人は帰る。帰れない人はどこかに泊まる。。。そうだ!ホテルを確認しなくちゃ!!
こう思った時はすでに遅かった。どこもかしこも満室になってしまった。


教訓;災害時に、宿泊を選択肢に入れる場合、災害後、先ず、第一に行うべきは宿泊場所の確保である。


 本当は社員の一人一人の今日の対応を考えるべきなんだろうけど、私の場合、家族が病床に伏している状況、所在不明者確認をしなくちゃならないなどもあり(プラス、最近の会社内での人間関係にほとほと嫌気がさしていた)、申し訳ないがとっとと帰る選択を選ばさせていただいた。すまんなみんな、私は会社と大切な人たちのどちらを優先するかと言えば、間違いなく後者だ。


余談ですが、日本橋高島屋の前では鉄道をあきらめてタクシーにシフトした買い物客が長蛇の列になっていました。多分その後、タクシーがちゃんと手配できるまでには物凄い時間がかかったことだと思います。


余談の教訓;タクシーにシフトして行動するなら。災害後数分以内なら可能です。だって、道路に避難した時、まだ、「空車」が走ってたよ。



 さて、冷蔵庫においてあるペットボトルの水をバッグに入れ、かねてより「万が一の時用に」と、ロッカーにしまってあった運動靴を取り出して足に入れた。・・・小さくなっている。ってか、固くなっている。。。。革靴の方が動きやすそうなので、革靴のまま帰ることにした。


教訓;運動靴は履かないでしばらく放置しておくと、素材によっては硬化してしまったりして、ダメになるから、普段から時々履きましょう。


 外に出て、とにかくパンとかを買おうと思ったが、ほとんど売り切れ。ぎりぎり「ウィダー・イン・ゼリー」とか「バランス・アップ」と水をもう一本キープした。ついでに、「ワンカップ大関」と、「霧島ミニカップ」・・・実はこの酒が、のちに一番心強い友となる。


教訓;食料もとっとと買おう。コンビニは震度5程度では、まだ通常営業である。


 歩き始めた。妙に慎重派の私は、バッグの中に非常用マップとかラジオは常に携帯している。マップを頼りに、先ずは東京駅前の中央通りを銀座・新橋方面に向かって歩き出すことにした。夕方5時半過ぎのことである。幸い、日が少し伸びてきているので、まだ真っ暗なイメージがないところが気分的に救われる
結構な人だかりだった。ちょっとピークを過ぎた初詣参拝客的な混み方だ。
さて、狙うは浜松町の交差点。そこから右折して国道1号に入ろう・・・!


20110311-01.JPG 新橋辺りでトイレに行きたくなった。これがねぇ、公衆トイレって中々わかんないんですよね。ともかく、今回いちいち助けられたのはコンビニの存在だった。コンビニにはトイレもある。
私は、新橋を過ぎたあたりのコンビニで用を足した。お客はごった返しており、みんながそれぞれにカップ麺を買っている。おそらく今日は泊まるんだろう。。。みんな頑張れ!


 おおむね間違えていないところで、1号線に入った・・・しかし、この時点で辺りはもう真っ暗の夜である。せっかくの帰宅支援マップも光がないと読めない。結局はケータイでマップ確認している人たちの方が圧倒的で、そっちの方が便利であることを痛感した。


教訓;多機能携帯電話は、やっぱりすごい!


20110311-02.JPG 二度目のトイレは、どこぞのホテルで貸してもらった。ホテルの存在は、たとえ宿泊しなくとも、ありがたい存在だ。ホテル業のみなさん、本当にありがとう!


さすがにまだ3月とは言え、夜は寒い。私はワンカップを飲みながら、テクテク歩いたのであります。


教訓;この時、日本酒や焼酎ストレートは好ましいですが、ビール、水割り系等は音入れが近くなるので、例え体を温めるツールとなるかもしれないが、やめといたほうがよさそうです。


当初は1号線(桜田通り)を歩き、五反田に来たら、中原街道に入るルートを考えていたのですが、どうも、人の流れに誘導されてしまったようだ。


20110311-03.JPG中央通り(第1京浜)をそのまま歩くことになり、
はたと気が付けば「泉岳寺」だ。。。19:36










20110311-04.JPG









20110311-05.JPG










 まぁよい、品川から大井町方面に行ければいいだろう。足も痛いが、考えたら「箱根駅伝」の第一走者が走っている道ではないか。歩ける歩ける!と自分に言い聞かせながら、何とか品川に到着。19:51。


これでJRに沿って歩いているつもりが、これまた人の流れに乗せられて(どうしても、自分に自信があっても皆と一緒に行動したくなっちゃうんですよね)青物横丁へ。。


そこからは、自分が昔住んでいたところでもあるので、安心して単独行動的に大井町の駅まで歩きだした。自分の隣近所に何人かがいて、「お宅も徒歩帰宅組ですか?」などと、意気投合。
「それにしても寒いですね!」
大井町まで届いたことだし、軽く一杯ひっかけて、残りをがんばりましょうか!?」
「ナイスですね!」


ってなわけで、大井町で一杯飲み屋で熱燗ひっかけ、煮込みを食べ(美味かった〜!・・・一生忘れません!)、再度、徒歩になる。


「じゃ、僕はこれから五反田方面なので!」
ついさっき知り合った人は、五反田方面へ歩いて行った。
私は、東急大井町線に沿って、西の方向へ移動・・・しかし、一杯飲み屋で体を温めようと思いっきり飲んだのが災いしたのかもしれない。気が付けば、東急線の下を歩いていたつもりが、新幹線の高架下を歩いていることに気が付いた。


「あっれ〜!!!?」


思わず、近くを歩いている人に声をかける。


「すんませ〜ん、戸越方面に行きたいのですけど、どっちでしょう?」
「私もそれを知りたかったんです。」
嗚呼・・・・


そこで知り合えた人と一緒にこっちかな?あっちかな?と考えていた時にまた人が通りかかった。


「すみません、戸越はどちらでしょう?」
「あ、私も迷っているんです。」


いやぁ、迷子集団。。。


仕方なく、近くの居酒屋と思しき入り口をくぐり、店の大将に聞いたら、なんか随分と違うところを歩いていたようだ。
教えられたとおりに歩いて、やっと戸越方面到着。ここから、中延−荏原町−旗の台と歩いて行き、立ち食いラーメンを食って、やっと帰宅となりました。23:00着。


色々道草食ったけど、17:30に出て、その日のうちには帰宅できたのだから、まぁ、良しとしようかと思った。そして、いい教訓になった。勉強させていただきました。




追伸;まだまだ余震が続いております、ピークは過ぎたと思われますが、岩手とか長野とか、茨城、千葉、東京湾と、連鎖反応的な地震も発生しています。関係地域のみなさん、私も含めてですが、これからも気を付けて、乗り切っていきましょう。頑張って下さい!