日光のではない東照宮にて

201102dragon.JPG権力の具現化というか、

威光というか、

なるほどこういうアピールはありなんだ、

そう思った。

そんな光景だった。


一方、

違う考えも頭をよぎった。



この世の中は、無人島ならいざ知らず、大勢の人の助けがあって成立している。

米粒一粒だって、自分ではできないのだし。。

「私が稼いだ金なんだから、私がどう使おうったっていいじゃないか」

そのような発想は、…たぶん悲しい。
それではあまりに独善的過ぎるもの。

それを考えたらご飯を「残す」なんて罰当たりもいいところだろ。

例えば、ゴミを道に捨てて、「ゴミ回収業者に仕事を与えてあげているんだ」みたいな、たわけたこと言ってるのと同じレベルだよね。




…おや、脱線したようだ。




私たちは、多くのはたの人に助けられて、生かされれている。

だから、

せめて恩返しにと、「はたの人に楽にしてもらう」のが「道」なのだと。

「働く」という意味を改めて反芻してみる。

…「はたの人に楽にしてもらう」…


つまりは消費するという行為にも、
似たようなことが言えるんだろう、…などとね。