日光のではない東照宮にて
威光というか、
なるほどこういうアピールはありなんだ、
そう思った。
そんな光景だった。
一方、
違う考えも頭をよぎった。
この世の中は、無人島ならいざ知らず、大勢の人の助けがあって成立している。
米粒一粒だって、自分ではできないのだし。。
「私が稼いだ金なんだから、私がどう使おうったっていいじゃないか」
そのような発想は、…たぶん悲しい。
それではあまりに独善的過ぎるもの。
それを考えたらご飯を「残す」なんて罰当たりもいいところだろ。
例えば、ゴミを道に捨てて、「ゴミ回収業者に仕事を与えてあげているんだ」みたいな、たわけたこと言ってるのと同じレベルだよね。
…おや、脱線したようだ。
私たちは、多くのはたの人に助けられて、生かされれている。
だから、
せめて恩返しにと、「はたの人に楽にしてもらう」のが「道」なのだと。
「働く」という意味を改めて反芻してみる。
…「はたの人に楽にしてもらう」…
つまりは消費するという行為にも、
似たようなことが言えるんだろう、…などとね。