Cord chord 自己分析…か
もしかすると私はやり残してきた事を抱えたまま、今を生きているのかもしれない。
過去に発生したその「事」をわざわざ記憶の奥底に仕舞いこみ、忘れることに一生懸命になりながら今を生きているのかもしれない。
何とはなしに日々を生きていくうえでは、忘れていても構わないと思われるそんな過去の「事」実。
しかし、その事が発生してからは「そちら側を取り巻く環境」も同じ時間で進んできた。
私の生きてる時間軸と同じ時間上なのに、私と異なる生活圏で。
世界が微かに異なるだけの、
・・・あたかも、
電車の線路の片方が私の今住んでいる環境で、「事」の起きた側の世界がもう片方で。
しかし時々それらが悪さする。
クロスする。
そうなったとき、戸惑う。
何故って、およそ両者は互いに同居することが認められないのだから。
そこで誰かが悲しむことになるのだとしたら、誰が選ばれてしまうのか?
いいえ、それは判り切っていること。
それは私でなければならない。。
そういう度量が、そういう度胸が、そういう覚悟が、出来る人でなければならない。
過ちの種を蒔いたのなら、過ちの花が咲く。
その種を蒔いたのが私だとしたら、
過ちの果実は私が食べてしまわなければならない。
このチェーンを切らなければならないのは、私なのだから。
そして、もっと違う種を蒔いていけるはずだから。
佳き種・佳き花・佳き果実。
安堵の土壌で、みんなを愛したいし、愛されたい、
本人冥利に尽きる舞台とは、そういう人生なのだろうと。