作詞の力
最近、昔取った杵柄じゃないけど、時折詩を書いたり、曲をこさえてみようとしている。。。だけど、自分のセンスには相変わらず首をひねってしまうことが多い。
「んー、こういうフレーズってアリかなぁ・・・ちょっと飛んでね!?」なんてね。
自分のセンスって、メジャーでないというか、マニアックに過ぎてる気もするし、逆に、出来上がったのがベタ過ぎで「だ〜めだこりゃ!」と、才能の無さに頭抱えてしまったりなんてのもある。
殊更、そういうのを実感するのは詩の方でして。。
文章というか、文字の組み合わせというか、物語性の表現力というか、とてもプロにはかなわないと実感するのがしょっちゅうだ。
そんな訳で、と言うわけでもないが、今、阿久悠さんのエッセイを読んでいる。
彼の作詞には時折「はっ!」とさせられる時がある。それって、川端康成の作品と共通の匂いのようなものがあって、およそ日常的には「組み合わせがおかしい」言葉の表現で、凄いセンスみたいのがある。
川端先生の場合はとにもかくにも「雪国」。以前にも書いたことがあると思うけど、「悲しいほどに美しい声」という描写には心底唸ってしまった。およそ自分の中では「悲しい」というのと、「美しい」というのは同一ライン上では扱われない単語なのだ。それを組み合わせてしまった技の衝撃たるや、すごかった。
一方、阿久さん。彼の作品の中でもそういうのがありまして、一番印象に残っているのは沢田研二の「勝手にしやがれ」。出だしの「壁際に寝返り打って」ってとこ。「壁際」と「寝返り」は少なくとも私の中では共存できない単語でしてね。それを阿久さんはやってのけた。もう、それだけで「すげー!」なのでした。
あ、そだ、「想い出かき集め」て「鞄に詰め込む」ってのも粋ですよね。
考えたらこの作曲は大野さん。この人もスパイダース以降、めっちゃくそ活躍しているアーティストのひとりですわな。
にっぽん、隅におけない素晴らしい国だと思います。
もちろん、共存し得ない単語を羅列することは可能だ。でも、「およそ並列不可能なのだが、並列させたら物凄い効果が生まれる」ってのは、中々無い。そう思った。
ところで、阿久さんのエッセイ「夢を食った男たち」の中で印象的なエピソードがあって、「船によるクルージングの世界に陶酔した」ってのが紹介されてるんだけど、その部分、なんて言うかなー・・・クルージングになると、乗船メンバーは下船するまで一緒なわけです。で、参加者が家族参加ではなくて単独参加だったりすると、日常の飲み会とは異なる世界がクルージングの中では展開するんですよね。
上手く言えないけれど、船の上での飲み会では「私、そろそろ…」と中座することが無い(できないともいう)。船の上の時間というのは、日常から切り離されるんだよね。そういうのって、いいなぁと思った。
いつか自分も体験してみたいと思った。
・・・
あれ?
何の話だっけ?(笑)