洋楽の原題と邦題のギャップ

 邦題と原題のギャップについては、今まで何回か書いた事があるけど、ここにきて「やられた!」と思うのに出くわした(ってか、今まで気が付かなかった)。
『プリーズ・テル・ミー・ナウ』(デュラン・デュラン;原題『Is There Something I should Know』) これ、「Please Tell Me Now」という原題だと思っていた私。実は、「プリーズ・テル・ミー・ナウ」という邦題だったんだな・・・やられた。


 そうそう、原題には必ずしも書かれていないことを邦題に組み込んで雰囲気を出すと言う手法は、その昔はかなりの常套手段でしたよね。今では、原題のまま表記するのが主流ではありますが、昔はやたら「雨の・・・」とか「悲しき・・・」とか「愛の・・・」などと接頭詞をくっつけたり、例えばEWFの「宇宙のファンタジー」ってのも、原題には「宇宙」なんてなかったしね〜。あ、そうそう、ボストンも「宇宙の彼方へ」とあったが、「宇宙」は原題にはなかったと思う。そういうイメージの膨らませ方って凄いよね。ま、名曲だから許しちゃうけど。・・・もちろん、あの有名なシンディ・ローパーの『ハイスクールはダンステリア』という今もって謎の多い邦題もありますがね・・・(^^;


 謎が多いというか、「イッちゃってる度」からすると、シンディのそれよりも凄いのあるんですけど、皆さんご存知っすか?


フランク・ザッパ先生です。
先生の音楽性はぶっ飛んでしまっているので、今更カテゴライズすることはできない。というか、そう言う必要性がない。で、そういうぶっ飛び方って、本人だけではないところも凄い。邦題を付けた人のセンスというのもそのひとつ。悪ノリのような気もするけど、

『いまは納豆はいらない』(原題『No Not Now』)とか、
『娘17売春盛り』(原題『Teen-Age Prostitute』)とか、
『ア、いかん、風呂むせて脳わやや』(原題『I Come From Nowhere』)など・・・
こういった曲を収録した82年のアルバム『たどり着くのが遅すぎて溺れる魔女を救えなかった船』(原題『Ships Arriving Too Late To Save A Drowning Witch』)ってのに止めを刺されている気がするな。
正に奇才の周りには変なのも多いっちゅうこって!(^^;

カッコいいんだか、吹っ切れてしまっているというか、壊れていると言うか・・・まぁなんだ、あえて例えるなら歌曲、劇中歌、クィーンフレーバーで、マリスミゼルフレーバー、合唱曲のようでそうでない・・・そんな感じのそれです(笑)