「Hold On Me」 が好きだった頃

 1980年代中頃の前髪長くて後ろ刈り上げ、チェック柄のアイテムを採り入れてアップビートに盛り上がる・・・。その一方でワンレン・ボディコンも流行っていた時代・・・。要するに「ばぶ〜る」な一頃。

 この時代の歌手群(特に邦楽)はややもするとごっちゃになってしまう傾向がある。何分にも私も例外ではなく、リンドバーグ、永井、中村、渡辺、SHOW-YA・・・辺りは、はっきり言って「ごっちゃ」であった。髪型も含めて。ステージングも含めて。声質は違っていたと思うが、曲調には区別を付けられなかった。ってか、する気もなかった。

 しかし、そんな中にあって、この曲だけは別格扱いとして、心に刻んでいる。


HodOnMe-Kohiruimaki.jpg小比類巻かほる - Hold On Me


 もうね、イントロからして、余分なものがなくてテンション上がりっぱなしなのである。コードを「ジャーン、ジャーン、ジャッジャ♪」と刻むだけの、シンプルかつ脳天にガッツリくる分数和音。掴み、おっけーでした!
んでもって、Aメロからして、キャッチー。「カタチのない贈り〜物〜♪」の「贈」の部分ね。メロディーの突きあがり加減が実によろしいのです。


 当時、よく、この曲に対して引き合いに出されていたのが、渡辺さんの「My Revolution」だった。確かに似たようなフレーバーを感じる。こっちは和音攻撃ではなくて、単音メロディ攻撃である。「タン・ターン、タン・ターン、タン・ター、ッタララッタ、ラッタッラタラ・・・♪」こんなかんじで、そのフレーズに「タラ・タラ・タラ・タラ・ラッタタ−ンターン・・・」の違うタイプの単音メロディ繰り返しを被せる。この加減がキャッチーだった。しかし、くだりの部分での盛り上がり度合いを考えると、個人的には断然小比類巻さんなのです♪


 「My Revolution」は、Aメロとサビメロを別のスタイルにしていた。
Aメロは確かに導入メロとしてはかなり秀逸だったと思う。編曲も素晴らしかった。
しかし、サビメロは全く別ものになってしまったと思う。
曲の流れが変化してしまうのである。
せっかく跳ねるようにしてAメロから曲に入ってったのに、その跳ね方がサビメロに正しく「引き継がれていない」気がするんだよね。


 一方、「Hold On Me」。こちらはあまりにキャッチーなAメロがそのままサビメロに踏襲される。
中間部分のBメロは、意識的にロー・ビート。
そして、Cメロ。サビへ繋ぐ盛り上げ系クレッシェンド・フレーズ。
曲の起承転結が明解で、格の違いを私は感じてしまった。
曲調としては激しくオッケーだが、歌詞の内容的にはあまりにもハッピーなので「しゃらくせぇ!」な感じがしてしまうけどね(^^;。


 あ、そうそう「My Revolution」に至っては、歌詞は何を言いたいのかさっぱり分からんかった。「きっと本当の悲しみなんて、自分ひとりで癒すものさ」と歌っておいて、「わかり始めた My Revolution 明日を乱すことさ」とくる。
そうか!自分自身が一人で果敢に自己改革変革に突き進もうとするソリッドな歌なのか!
・・・と思っていたら「笑顔が多いほど 独りの夜がツライね わけあいたい」とくる。
結局「孤独」は苦手で、孤高のスタイルを取れない事を主人公は訴える。
それで最後には「自分だけの生き方 誰にも決められない 君と見つめていたい」だ。んー、わからない。
難解です。
自信欠落?同意求め系?依存系?、それって「レボリューション」なん???
もちろん、渡辺さんがイケないわけではありませんし、歌詞を書いた人もそう言う方法論なのだとしたらそれはそれで意見の突っ込みようはない。
だって、売れてしまったんだから。彼女達の勝ちだ。それは間違いなかろ。詩の「内容」は別にして。


で、負け惜しみで発言するぞー。
これ、もし「本気」でメッセージ・ソング的にしたいのだったら、「明日を変える」んじゃなくて、「今」なんだと思う。「明日」じゃ遅いです。「明日」を待っていたら、いつまでたっても「明日」はきません。自分が生きることは、人様を感謝と愛で尽くすこと、その対象はひとりだけではありません、そんなのはエゴの塊であり、もっと広い視野を持って革命を起こして欲しいと思う。せっかく革命するのならね♪
ぬるい考えはよしましょうよ。
折角なのだから、さ。もっとも、作詞者さんもそんなのは重々承知のことと思いますけど〜。額面通りに受け取ってしまっている人がもしいたら、もう一度検討しましょう「Your Revolution」、僕も考えるからね。(^^;;