お盆の夏休みで帰省して色々あったぞ。

過ぎてしまえばあっとという間のお盆休み。
でも今年は例年になく色々なことがあったお休みとなりました。

先ず、おじいちゃんのこと。
私は小さいころからおじいちゃんについては「戦争で亡くなったんだよ」ということと、その遺影の情報量しかなかったので、太平洋戦争で亡くなったんだと思っていた。

得てして、身内や遺族は過去の戦争体験を語りたくないものである。

そんな中、墓碑や色々な情報を調べ、とうとう今年はおじいちゃんの経緯を知ることが出来ました。悲劇を襲ったのは昭和12年の上海。そう、真珠湾攻撃を遡ること4年前。支那事変によって戦死されたのでした。おじいちゃん理解が間違っててごめんなさい。所属もわかった、陸軍歩兵57連隊所属。もとは青森で組成され、習志野に転営し、そして佐倉に転営された部隊である。出陣の際は第1次歩兵157連隊であったという。この時期、第二次上海事変等大規模な戦いが繰り広げられたのだがこの点は歴史の教科書は沈黙している。とにかく鎮圧とディフェンスのために送られた日本兵数千。それに対し、いちいち難癖をつけては好戦的姿勢を崩さなかった支那群数万。数的に見ても明らかと思う、日本の侵略戦争とは一体誰の詭弁なのか?

おじいちゃんの所属部隊もわかったので、いずれ靖国にも参拝に行きたいと思う。
多くのこの国のためにと命を犠牲にされてきた英霊たちに思いを馳せるなら、参拝しないなんてのは失礼の極みと私は思う。外野の言ってることは意味わかんない。是非、国を挙げて偲ぶべきであると思った。何も遠慮なんかいらない、絶対いらない。靖国を心のよりどころとして団結して散って行った御霊を供養するのは今に生きていることができている日本人の責務であると思う。合掌。



手を火傷した。
お墓参りで、線香3束を一気に火を点けようとして、逆風に煽られて思いっきり水ぶくれを作ってしまった。
まじめにちゃんと墓参りを継続しなかった罰が当たったんかと思った。反省であります。
(おー、イテェ)



勤労奉仕
この時期、実家に帰ると、手つかずになっている土地の生い茂っている雑草を取る作業が私を待ち構えています。
去年はそれでも数時間は作業をしましたが、今年のこの強烈な殺人的暑さでは、数十分が関の山でした。
幸いにも、先般のゴールデンウィークのときに、思いっきり除草剤を二日間にわたり連打したのが幸いしたようで、篠竹なのは枯れていたから安心。その代り、植えた記憶は全くない「ヤマゴボウ」がドカンと生い茂っていたので、こいつを除去するのに一苦労した。


←刈る前









←刈った後







まぁあともかく、暑い日々でした。
外での作業が多かったせいか、一日に3回はシャツもパンツも交換するという激汗状況でありました。
・・・思ったけど、汗をガンガン掻いている方が熱中症にはならないような気がしました。喉が渇く以前に、発汗でビビッてガンガン水分取るもの。。(^^;