私信だけど発信したい事。

 改めまして、この度の震災で尊い命を落とされてしまった皆様のご冥福を心からお祈りいたしますと共に、被災されて尚お、過酷な状況下で日々を過ごされていらっしゃる皆様に心よりお見舞い申し上げます。どうか、一日も早い復興を成し遂げられることを切に願って止みません。
 私のようなものが偉そうな口を聞けるものではありませんが、それでもやはりこの震災からの一年目を迎えた被災地の皆様に向けて、何も言わずにいるわけにはどうしてもなれません。
 個人的には、マスコミがアニバーサリー的に何処のチャンネルもこぞって特番を組んでいることに(その内容については脇に置いておいたとしても)何やら不愉快な思いを抱いてしまいました。被災地の皆様の心情を思えば、日々が厳しい。誠、被災地の方々の事を思えば、節目で行うのではなく、毎日のようにこの位の報道しても良いのではないかと。。
 民間のスポンサーがどのように番組にくみしたのかも気にはなりますが、あの当時の事を思えば、こういう時こそ「AC」のCMを今一度放映するのも重要性があるのではないかと思いました。が、ついぞそういうスタイルを取った番組には出くわしませんでした。
 首都直下型の震災が起きる可能性があるといいます。しかし、番組的に「貴方は逃げられるか?」のような煽った報道でどうする?避難アイテムを揃えると言うのは重要だが、もっと重要なのは、町内会などのコミュニティの見直しなのではないか。改めて地域住民たちなどの小さなサークルにおいても人と人との繋がりが重要視されるのではないか?  火災から「逃げる」のではなく、例えば各家庭になるべく消火器などの設置や、小さい火のうちに隣近所が助け合いながら消し止める努力をする事でも被害を最小限に食い止める芽があるのではないか?有効な手法をもっと検討すべきではないか?そんなことを思いました。
 絆…ならば、被災地のがれき処理に「こっちには持ってくるな」と言っている人の絆の論理はなんなのか?助け合いは必要だが、そうじゃない助け合いで傷の共有?、、意味分かんない。
原発賛成論者の御方の自宅にでも被ばくした土壌でもかくまってもらえないだろうか?そんなことまで思えてしまう。
 総論賛成各論反対ですか…でも、日本人の意識はもっともっと高いところに向える筈だと信じています。東北の皆さんの奮闘ぶりには頭の下がる思いです。私含め、被災しなかった地域の人々が何が出来るのか、出来ることしかできないけれど、出来ることってもっと沢山あるのではないか。自分を自分都合の尺度で割り引かないようにしていくことの大切さを噛みしめています。
 成長の定義は経済成長にあらず。「足るを知る」。私はそういった意識の下での成長が求められている気がします。心や価値観、生活よりも生命。いいえ、それは必ずしも宗教的な範疇だけに限った事ではないのですよ。きっと。