初詣のスタイル、考え方どうしてます?


さてと、新年明けまして何を書初めしようかと。。。


考えたら、私ってば、真っ直ぐな人生を歩んでいるつもりでいるんだけど、どうも屈折した人生を強いられてきた気がするな。(今更だけど…笑)


 自分が直球を投げないということもあるかもしれないけど、たとえ直球を投げたとしても、打たれた球が物凄く癖があったり、観客が屈折してたり、いやいや、それよりなにより主催者とかスポンサーが屈折してたりするもんだから、自分の人生舞台そのものが屈折してたりする気がしてたまらんかったりするんですわ。そんな人生をン十年やってきました。
おかげさまで、そういった成果の果実として、こんな「のんき」ができました。ありがとうございます。(^^;
 今年はせめて、直球を投げて、直球を受けて、周りの環境もストレートな年になってくれると嬉しいなぁと思ってます。まぁ、そのためには自分の心持ちも常に素直である必要があるんですけどね(苦笑)。


幼少期の頃の記憶なんてのは忘れちまったんでいいけどさ、少なくとも、自我に目覚めてからのこっちは自分の取り巻く環境は変化球だらけだったと思うね。


直球な年がたまにはあってもいいよねえ。そう思わん?
・・・ま、いっか。


ここ何年か、正月ともなると私は実家(成田なんですけど)に帰りまして、神社仏閣にお参りに行くのが恒例行事化しております。
で、行くたびに、と言うか、以前、スピリチュアルな方のご助言を頂戴してからと言うもの、お参りの仕方スタンスが変わってきたです。


何が違うかといいますとね、要するに、手を合わせた後に「お願い事をする」のではなく、「感謝する」ってのを先行させるようになっているんです。これね、とても大切なことだと思うんですよ。


今、新年のお参りで、神社仏閣に赴いて「感謝した」人と、「お願い事をした」人ってのの割合を計算したら、圧倒的多数で「お願い事をした」人の方が多いと思うんだよね。


そう、お願い事をするのは別にかまわないんだけど、そもそも、自分らが今、この瞬間に生きててさ、それがもし神様たちのご加護だとするなら『今まで生きてこれたことに対して、そして、今年も新年をどういう形であるにせよ生きて迎えることができたことに対して、先ずは感謝することから始める必要があるんじゃないか?』・・・なんてね。


だって、対人関係見てたってわかるじゃないですか。
いつもお願いばっかりしている人って疎まれるでしょ?
「ありがとう」と感謝している人は、されている人たちから悪くは思われてないよね?


人ですらそうなんだもん、まして、神様仏様だぜ!?


彼らに対してお願いの一方通行は、物凄くふざけた態度なような気がするし、お賽銭をいくら入れるかを考えるなんてのは、もはや神様仏様に対しての買収行為ではないか?…なんてさ。


もちろん、人知の及ばない領域において、お力添えを頂戴したい気持ちはすごくわかるし、現にこの私だって、そういう気持ちはあるです。なので、お願い事的に手を合わせることもします。ええ、ええ、もちろん、お願い事致します。
・・・でもね、
お願い事する前に、先ずは感謝することから始めるですよ。そうしないとバチが当たるような気にもすらなるんだよね。



ともかく、この平成24年が、皆様にとってとても素晴らしい一年になりますように。





フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」を取り上げたくなりました。


 この曲のラストで、お坊さんがお経をあげているんだけど、いつの間にかビートルズの「ア・ハード・デイズ・ナイト」を唱っているのは有名な話ですよね。さて、ではなんで、「ア・ハード・デイズ・ナイトなんだろう?」って考えたことあります?
これ、死んじゃったヨッパライ・サイドのひっかけとしても、通夜に呼ばれた坊さんの心境と考えても、どっちにも通じるスパイス的選曲だったと思うんだよね。
ヨッパライからすれば、忙しい日々を過ごしてたけど酔っ払い運転で死んじまったという「その日」にふさわしいタイトルなんだとも取れるし、坊さんからすれば「まったくこのくそ忙しい時に通夜なんぞに呼ばれちゃって…」と言うような心の叫びを代弁するかの如くの選曲だったと解釈できる。いずれにしてもセンス良いよね。
 でだ、そこから、「エリーゼのために」の伴奏が流れて聴こえてくる。これはどういう意味なんだろう?昔はんなこと考えたこともなかったけど、最近はいちいち細かいところが気になっちゃってね(笑)、きっとこの選曲にも意味があるに違いないと思ったりしているんだわ。
 私的な仮説で行きますと、これはヨッパライ・サイドの心の叫びの代弁ではないかと。
天国に行ったヨッパライ。彼は天国をあたかも竜宮城のごとく物凄く気に入ってしまう「酒は美味いし、ねぇちゃんは綺麗だ♪」と歌うくらいだからよっぽどだったでしょう。でも、遊びほうけていたら神様の逆鱗に触れて「現世」に送り返されてしまうのだ。
 思うに「エリーゼのために」ってのはかのベートーベンの片思いの女性に対してこさえた曲で、結局その恋は実らなかったんでしょ?
エリーゼってとてもきれいな女性だったらしいじゃないですか。
この実らない恋。この雰囲気が、天国で「おねいちゃんは綺麗だったのに」と思いを馳せたヨッパライの心境と、微妙にシンクロするのかもしれません。
そんなわけでこの曲をフィーチャリングしたのではないかと…まぁ、こんなにこの曲に対して大業に考えているのって、今この瞬間の世界中でもここぐらいでしょうな。

ことよろ〜(^^;;;