比喩の歌詞、そこに深みがある。

 かつて、私が好きだった邦楽ユニットのひとつに「サイズ(Psy・s)」ってのがあった。ギターというかコンポーザー的役回りの松浦さんと、ボーカルのチャカ(CHAKA)のユニットです。
 サイズといえば、アニメ『シティーハンター2』のオープニングテーマ「Angel Night」がかなり有名だけれど、私個人としては「水のマージナル」が一等賞(ってか、「Angel Night」知らんし)。とりわけ、ギターのアルペジオ、ハーモニックスの入れ方のセンス、ベース・ラインに分数和音を取り入れる深みの芸風、そしてそして、何よりもここのボーカルCHAKAのモーレツに伸びのあるハイトーンが冴え渡っているのが印象的だ。広瀬なにがしとは明らかにタイプが異なっていると私は思っている。
自分的にはCHAKAの方が好みね(^^;


加えて、この曲で流れる歌詞がシュールっぽくて素晴らしい。部分的抽出だけれど、


 駆けてゆく 子どもたち
 にぎやかな笑い声
 夏近く 水辺のほとり


って出だし。これからして、妙に郷愁に誘われるような表現だしょ?


 金色の 冠(かんむり)は
 ストレインジな 太陽
 またたいて 時急ぐ南


ぱっと聞くと、何やらシュールで、何を言おうとしているのか皆目見当もつかないんだけど、「抒情詩」ではなく「叙景詩」と捉えるとなんとなしにイメージが膨らんでくる。
そして、そこからほのかに抒情的な空気感をも醸してくるんだよね。そういうところがいい。


 この曲は、サイズ6枚目のアルバムの1曲目だったかと記憶している。僕にとって最初のサイズは2ndアルバムの「ピクニック」。『ありきたりだけど妙に懐かしい不思議なポップ』というようなキャッチコピーに、「実に良く当てはまるユニットだ」と感じたのが始まりだった。で、その後この6thアルバムに至るんだけど、歌詞も凄いが、この当時のサイズはもう新たなるジャンルを築き上げたと言ってもいいかもしれない。それまでのテクノ系に傾倒していたサウンドからの脱却(脱皮か)、いいんじゃない〜?

Psy・s - Wondering up and down〜水のマージナル


シュールにして解釈の幅が広がる名曲・・・


歌詞のシュールさがどうにでも聴く側に自由な解釈を提供してくれる名曲・・・


いかん!


こうなると、絶対に語らなければならない曲がある。



FENCE OF DEFENSE - LIGHTHOUSE

いやぁ、ようつべにアップしてくださった方、ありがとうございます。
この曲については、かつて一生懸命に私は語りました。でもそん時はようつべには存在してなかったです。歌の雰囲気をテキストだけで表現するのってムズイんっすよ。


どうあろうとこの曲は私にとって、ベスト「失恋ソング(立ち上がれ風味)」なのだっ!


この曲の歌詞も概ねシュールな世界です(^^;
ちょいと抽出、(1番の部分ね)



 さよならは いつも悲しい
 砕け散る 夢のシャンデリア
 揺るぎない世界 信じていた Oh no
 千切れたロープ めぐる時


 暗闇に 光るメモリー
 遠くから 心惑わす
 汽笛を鳴らせ 霧の中 タイタニック
 底知れぬ夜に 沈みゆく


 Light House 照らして まばゆい光を
 In Love まだ見ぬ 明日に注いでくれ
 Light House あふれる 想いを胸に
 In Love もう一度 力を与えてくれ



今でもほとんど諳んじて、一気に書けてしまえるところがなんだな>我(^^;



えー、さて、この歌詞から何をイメージされるでしょう?
それは各人各人ご自由にどぞですよね。
しかし私には、私がこの曲を知った時と恋に破れた時が、重なっていたのが致命的な解釈を提供してくれましたのさ。


のっけから「さよならは、いつもかなしい」とくる。 もう、いきなりじぃ〜んっ!だし。


「砕け散る、夢のシャンデリア」・・・そうです、描いていたバラ色の世界はあくまで自分が築いたもの、それが「砕け散って」いくとは・・・まことに素晴らしい比喩ではないか。


「ゆるぎない世界、信じていた」・・・まさに! 成就するものと信じて疑わなかった相思相愛!独りよがりだったんだよね〜・・・。。


「千切れたロープ、めぐるとき」・・・終わってしまったつながりをもう一度手繰ってみる。。。そんな表現にも聞こえたり。。


「暗闇に、光るメモリーズ」・・・沈んだ心に、かつての輝いた一縷の記憶が。。


あ、


いかん、


あんまり自分流の解釈を展開してくと埋没必至だな(^^;


 まぁ、そんなわけで、私流に解釈したとき、この曲はすこぶる最大限の比喩を行いながら、今一度自分に力を与えてくれ!オーマイガッ!の失恋ソングなのでありますん。


 面白いことに、「失恋ソング」と勝手に決め込むと「そういう風」に歌詞が展開して自分にイメージを提供してくれるんだよね。


 で、この曲は、「振られちまったよ、かなしいいよ、ふんふん」みたいな、どっかのフォークソングにあるようなめめっちい曲とは一線を画していると確信。
(振られたって意味では、結果論的に同じなんですけどね)


 振られたという事実を明言せずに、それに対しての自分の思いをどう歌に託すか・・・そう考えたとき、実にベストな表現手法なのだと感服したのでありました。
サイコーさっ!!(ぜぇー・・・)


あ、この件2007年に熱く語っておりましたな。

わたし、根源的なところでは、時間、止まっているのかもしれません(^^;;


のんき@自己陶酔型な.ne.jp