戦国のリーダーに学べるのか

歴史に見るリーダーの資質

 というか、「社会科」が苦手だった私は、世界史も日本史も殆ど素人のまんま大人になっちまった。
 よく、戦国の武将辺りを取り上げて、現代の経営戦略を歴史に学ぼうとするA4サイズの雑誌みたいの、あるじゃないですか。ああいうので「信玄」とか「利家」とかやってますよね。で、「○○に学ぶマネジメントの極意」とかさ。そういうのを電車のつり革広告などで見かるんだけど、「へぇぇ、ふぅん」と唸るんだ。唸ったところで、その雑誌を買うわけでもなく、立ち読みするわけでもないんだけどね。
要するにタイトルから「推察」してるだけのだわ。
武田信玄ってすごいんだろうな、」以上っ。ってなもんでして。   いかんね。
要するに、戦国の武将などにあんまり興味がないんだな、はい。

 だもんだから、一番有名どころの安土桃山以降の、「織田→豊臣→徳川」の三大武将についても、せいぜい「なかぬなら、何たら○○、ホトトギス」で区分けする程度の知識しか持ち合わせていない。
 織田は短気、豊臣は策士、徳川は忍耐などと、いい加減なイメージを持ってしまっていた。更に言えば、「この三人の中でどのスタイルがいいですか?」なんて人気投票みたいのを中学高校の頃にやった事があるんだけど、何とはなしに、短気は嫌だし、忍耐と言うのも苦手な私は、消去法で豊臣!なんて答えていたもんだ。

 さて、先般NHK効果も手伝ってか、私ったら激しく珍しく歴史小説を読んだ。直江兼継関連です。お約束的ですな。ゲーム関連ではないよ。

そこで先ず、過去の先入観の総括が必要と感じたです。

「織田も豊臣も徳川も大した人物ではない」と。

これがひとつの結論。(い、いいのか?)

いいのだ。

 確かに、彼らは国を纏める遺業を成し遂げた。切り口は違っても貪欲さが旺盛であったことには変わりない。貪欲でなければ統治は無理だったかもしれない。でも、言わせてもらえば、それだけの人物なのであり、人間的に素晴らしかったかどうかは別問題になる。
切り取る目線を(今の)自分の基準に変えて見ると、こんな結論になっちゃった。

織田は短気のサイコ人間で超我侭、人を信頼する「こころのあり方」なんてほぼ持ち合わせてなかったんじゃないか。それでいて流行に敏感で自己顕示欲(目立とう精神)旺盛。

豊臣は出身のコンプレックスばりばり、嫉妬深く妬み深い女ったらし。お調子者ご都合主義、演技派でキンキラ趣味ときた。

家康は忍耐強いなのではなく、したたか者で、自分の形成を有利にするための根回しよろしく、自分に歩がないときは音なしのクセに、歩が出てくれば手の平返したようにしゃあしゃあと前に出てくる「とんだ」タヌキおやじだ。


こんな人物たちと、もし一緒に仕事(生活)しようなんてことになったら、どうなってしまうんだろう?


やだね。


部下にも上司にも家族にも親戚にも欲しくないね。
それなりに成績をあげる事ができる結果にはなるかも知れないけれど、多分、多くの犠牲を求められることになるだろうね。
もちろん、正義感だけでは社会を渡って行くことは出来やしない。奇麗事だけで世の中渡れるほど甘くはない。んなことは分かってるつもりだけど、それにしても彼らは度が行き過ぎてたと思った。


でもね、私は日本と言う国は好きなんですよ。念のため。
和を重んじる精神は昔から民族の血の中に脈々と受け継がれてきていると思うのだ。
恥の文化というのもあるし、火の文化もある、そして義理と人情の価値観もある。
いろんな要素をひっくるめてこの国は好きだ。
少なくとも嘘つくのを「良し」としてない国が日本なのだもの。
了見がちゃんとあるよね、底辺に。

腐った日本人もいるけどね・・・それは教育を誤った結果だと私は思ってるんだ。

一方で、衆議院選挙を間近に控え、ため息ついてる自分が見える。

あ〜、このけだるさは〜、なぁ〜んだぁ〜〜〜♪

カラオケ行きてぇなぁ(笑)。