小学校のクラス会でした

 先月7月の中旬、とある友人から猛烈に久し振りの電話がかかってきた。小学校の同窓会を8月頭に開くという。何でも、当時私が通っていた小学校で担任だった先生が、この度、定年退職をお迎えになり退官されたとのこと。その先生の教員生活30数年分の労をねぎらいつつ、思いっきり久し振りの同窓会を開こうじゃないかというのだ。ひとつ返事で参加挙手したです。

 私の小学校の同窓会は、実は今までに一度だけ行なわれた事がある。卒業後10年を節目として行なわれたのだが、この時私はなんかの理由で出席できなかったんだよな。多分、まだ受検か何かをしていたのかもしれない・・・資格試験だったんかな?・・・何の?・・・忘れました。


naritastation.JPG そんなわけで、今回の小学校同窓会は私にとっては初めての参加となった。当時のメンバーの殆ど全てが約30年のブランクを経ての再会になる。
不安をたくさん抱えて、故郷の成田駅に到着(厳密には一駅隣だけどね)した。

みんなの顔と名前はわかるんかな?
それより、私のことを覚えてる人ってどんくらいいるんかな?
先生は私のことを覚えてくれているんだろうか?
「きみ、だれだっけ?」何て言われたら、しんどいなぁ。
小学校の校歌って・・・どうだったっけ??

 今回の出席者は、約20名。クラス総勢38名だったのだから、約半数の出席でした。
自分でも驚いたね、フルネームでは流石に瞬間的には思い出せなかったけど、呼称は瞬時に出てきた。それも殆ど全員。むらちゃん、とみちゃん、よしみっちゃん、こうちゃん、きよみちゃん、みっちゃん、けんちゃん・・・まぁなんだ、フルネームが出なくてもいいんだな、こういうケースでは(汗)。

kamakura.JPG古い写真をネタにひとしきり盛り上がる。
集合写真の幾つかを見ながら、自分が何処にいるのか分からない私。
「ねぇ、僕は何処に写ってんの?」
「ようちゃんは・・・これだべよ!」
「ほぉぉぉ、なんでYシャツ着てるんだ?わたし・・・」
こんな感じ。


shashin001.JPG大体ね、当時の私の田舎の、この地域では、少年達はジャイアンツの野球帽しかゲット出来ない環境だったので、皆ジャイアンツだった。
だからと言って皆がジャイアンツ・ファンではなかった。
ってか、野球好きの集まりではなかったのだ。
帽子の選択肢がそれしかなかったんだよなー。



jikanwari.JPG昔の時間割を見た。
6時間目までは当然のようにあり、土曜日だって午前中は授業があった。(しかし、これで「多い」とか「詰め込み」だなどという印象は全くなかったね)
で、放課後になれば壁新聞作ったり、校庭で先生や皆と遊んでばっかりいた。下校時刻は何時だったんだろう?思えば開放的な環境だったなー。
休みの日はクラスのみんな殆どで先生の家に遊びに行ったり、大体、平日だって頗る天気が良ければ、学校裏の川に遊びに行ったりしていた。社会見学として牧場や養魚場、アヒルの散歩などもしたっけね。
 のどかだったというのではなくて、それだけ皆が一緒に行動していた時間が、絶対的な共有時間が多かった。だからか、凄い結束力が生まれていたと思う。
もちろん、個々人にはそれなりのキャラクターが存在しているし、得手不得手なんてのがある筈なんだけど(実際あったな)、でも今思い返してみると、運命共同体的ななんか不思議な空気感があった。
同級生同士の仲が良いとか悪いとか、そこらへんのひとつ上の舞台で、先生の包容力と一人一人を大切になさる姿勢。そういったのに照明が当たっていたのだと思う。
今回の集まりでそれを改めて感じた。これだけ呼称やら呼び捨てやらそんなのに気を使うことなく、20人、参加者全てに対して話し放題ができた気楽さって・・・ああ、それこそ30年ぶりなのかもしれない。


愛をありがとう・・・照れてしまう台詞だけれど、これが一番ふさわしい。そんなひとときだった。
俺、まだ頑張れる気がするよ。いや、頑張ってみるさ。