模倣とオリジナル


 そういや先般、柳ジョージさんの訃報が届いた。思えばここのところ、原田芳雄さんにせよ、ジョー山中さんにせよ、R&Bというかブルース・ロック系の訃報が連発してもうて、何やら寂しい思いがする。時代が変わってゆくのかなー、などと思ったりもする。
 んで、それもんでしょげてしまっている…と言う話題ではなくて、柳ジョージさん繋がりで、自分が青少年だった頃の思い出がフラッシュ・バックしてきたです。物凄い懐かしさがこみ上げてきた。


 私がエレクトリックな楽器を携えて、初めて大きなホールに立ったのが今からン十年前の事。もちろん、オリジナルの楽曲などはまだまだで、カバーするのが精いっぱい。先輩たちのバンドにベースとして参加させて頂き、演った曲と言えば、「甲斐バンド」とか「チープ・トリック」とか「あのねのね」だった。まぁ、それはそれで完成度は高かったと思っているんだけど、そのコンサート、一つのバンドではとても会場費用やPA代を賄いきれないので、5つくらいのバンドのイベントとして実行されたんですな。


…で、だな。。


 対バンのひとつに、「柳ジョージ&レイニー・ウッド」完コピ高校生バンドがあったんだけど、これが無茶苦茶おしゃれでしてね。声質とか音質はオリジナルのそれとは全然違うんだけど、かのバンドはかのバンドなりに自分たちのモノにしちゃってたんです。それがまたカックイーのなんの。


 他のバンドはどうでもよかった。とにかくその柳ジョージバンドが気になって気になって、ステージが終了した後に、年上のバンドだったにもかかわらず果敢に声をかけた私だった。
「凄かったです!惹きこまれました!」
「やぁ、うん、そう?ありがとう、でもま、所詮コピーだからねぇ。」
「いや、そんなことないっす、コピーの域を超えてました!」
「えへへ、そりゃ嬉しいね、でもね、キミ、コピーは『超える』ってことはないんだよ。」
「へぇぇぇ、そうかなぁ、でも、違う楽曲に聞こえた位だから、別物に進化させてしまってる印象があったんですよ」
「そりゃ、そうかもな、俺ら、基本、デレク・アンド・ドミノスだから。」


あ、そーか、そうなのか、ふぅうううん、なるほどね、クラプトンね、そうね、ふんふん、クラプトン、確かにカッコいいもんね。


似ている風でも、自分たちのスタイルに進化させること。


誰だっけ?


「誰でも最初は模倣から始まる。」って。


 確かにそうだと思うし、そこから研鑽されて、新しいエッセンスを入れて、加工して、…そうやって、そういうプロセスが新しいオリジナルに繋がって行くんだろう。


真似ごとで終えてしまうことと、真似て参考にして昇華していくこと。


この二つ、とっかかりは同じ風に見えたり聴こえたりするけどね、猛烈な違いを後に明らかにするんだよね。


もちろん、目指すは後者なり。


それは、音楽、バンドに限らずね♪