向上心って大切なんですよ。多分。

 朝、電車に乗っていたら、目の前の席に小学生らしき男の子と女の子が何人か座ってて、其々にワイワイ盛上っていた。その光景を漫然と眺めながら、

(あ、この子は○○な、ちょっと「自意識過剰な大人」になるな。そこの娘は・・・そうね、○○な「かわうい系の大人」になるに違いない)

・・・などと、自分勝手にイメージを膨らませてみた。我ながら、そういうイメージってかなり高い確率で実現する(と思ってる)。ってか、私みたいに人生ン十年もやってると、10歳くらいの年頃の子を見ても、その子の10年後、20年後、30年後・・・の姿って概ね想像つくようになるもんだ。

何でこういう能力を10代の頃に持ち合わせていなかったんだと今更ながら悔やまれてならない。

 確かに、子供は大人になるにしたがって「心が純なだけでは勝負出来ない世の中」を知って「スレ」てくるものだ。でも、人って根本的なところでは変わんないんだよな。
そういうことが最近になってようやっと分かってきたと思う。

「ああ、やっぱり○○の家のせがれだ、父親ソックリだね」なんてのを時折耳にする。
これ、顔つきとか声色のことだけではなく、性質(たち)も指してることがあるんだよね。
やはり遺伝子のなせる技と言うのは・・・血は争えないってことですかね。(半分『あー、やだやだ!』でありますが・・・)

 科学や技術が進歩して、100年前、1,000年前などと比較すると、とんでもなく住み心地が良くなった現代社会・・・いや、心は荒んだし公害問題などもあって、昔の方が遥かに住み心地は良かった・・・と言う人もいるだろう。だけど、蛇口を捻れば水は出るし、スイッチ・パチンで電気もつく。クーラーもあれば暖房もあるし、ちょっと外に出りゃ肉や魚や野菜などを金があれば調達できてた今の世ってのは、間違いなく昔よりも便利な世の中だと思う。

 で、世の中便利になったけど、闊歩する人間が昔と変わってないとしたら、どうなっちゃうだろう?

概ね、「なまけぐせがついてしまう」と想像できる。

 その一方で、生活スタイルが便利になった分だけ社会構造が複雑化し、昔では想像もできないような、異なる「疲れ」と戦わざるを得なくなってもきている面もある。これも現実。

 根底のところではあんまり変わってない人間・・・その一方で人間を取り巻く環境って、物凄く変わってきたし、そういう変化をもたらしたのも、実は人間。

人間って、そういう側面では向上心がある。

じゃ、何で、向上しておきながら根底のところであんまり変わっていないんだろう。。

多分、変わっては来ていると思うんだけど、物質面技術面以上の変化はしてきてないんじゃないかなー?

不思議だよなー。

技術のように外面に具体的な形・設備で登場してくれば、その環境下で人間は適応を図って行くけど、心ってのは内面だよね。。外面変化すりゃ、内面はそれに応じて…というか外面以上に適応力と精神的な向上をしていかないとバランス崩しちゃうじゃん?

なんでかなー。

そんなことを思った無い頭、のんき。
頭抱えても仕方ないので、昨夜は酒飲んでロックを聴いた。

・・・ふむ、。

心に不純物が溜まらないような環境って、多分、向上心のベクトルが違うんだろうな。
そんな気がしてきた。