大切なのは

「世の中で、一番大切な人は誰ですか?
と尋ねられたら、ある人は「カノジョ」と答えたり、またある人は「お母さん」、はたまた「子供」・・・などと色んな回答が其々にあるだろうけど、そういうのって「ほんとかな?」なんて思っちゃったりしてね(^^;
だって一番大切なのは他でもない、「御自身」でしょ?


 自分が「大丈夫な状態」にあるときに初めて「二番目に大切な人は誰か」ということを「一番」と履き違えている人が結構多いのじゃないかしらん・・・と。
もちろん、博愛主義者であれば、さらにステージの高い回答があるかもしれないが・・・さすがに私もそこまで大人にはなれてないなー。


「キミの為ならこの命も惜しくない」
なぁんて、歯が溶解してしまいそうなセリフがあるけど、これを発言だけではなくて実行した人って果たしているのかしらん?
それって、そういうことで相手の人に「死なないで」などと言う言葉が返ってくることを「暗に」前提条件にしているのでしょう・・・などと。
「じゃぁ、死んじゃって♪」と言われちゃったら、本人どうすんだろ?
「冗談だぴょーん!」と逃げるわけにもいかないし・・・逆に、ホントに死んじゃったら「死んで」といった人のせいになるのかな?それはコワイ。


 いずれにしても、我が身可愛さに行動するのはひとつの基本であって、その基本がエスカレートしてしまうと常軌を逸した行動にも繋がりかねないリスクがある。
なんでもそうだけど、ほどほどにわきまえて行動することって、とても大切なことなんじゃないかなと改めて思うな。
自分は大切だけど、周りの人も大切。
だから、自分ばっかりに目を向けることなく、周りとのバランスも考えて行動できるようになりたいよね。日本人が大切にしてきた「和」の心は、こういう殺伐とした時代だからこそ改めて見直したいと思うし、和をもって行動することがひいては自分に返ってくるということを認識して、この「社会」というものに刃向かうだけではなくて、溶け込む(たとえ演技でも)ことが肝要なんだな・・・なんて、柄にも無く思ってしまった。


 何のことは無い、こんなことを思うのも、仕事やら何やらで自分を犠牲にしながら頑張らなければならないことが多くなってきてるからだな。とりわけここのところときたら、かなり自分を犠牲にしながらじゃなきゃ通らなかったし。


 そんなわけで(?)頑張った自分のご褒美にとばかりに、昨日は帰りにお酒を買ってくことにした。疲れた気分には、お風呂上りに「きゅきゅっ」と熱いのを飲むのが按配よろしい。
そいでもって、心和む書物やら音楽やら情報やらを見たり聴いたり閲覧しながら、楽な姿勢で(足でも組んで、片手にグラス、もう一方は「だらりんこ」)というのが実に充足したひと時だ。
おつまみ?・・・そうね、柿の種とか?ふふふふ、酒には乾物の組み合わせが心地よい私です。願わくば浅漬けなどがあると、さらにご機嫌。私は刺身とか、煮物、焼き物などで酒を認めるよりも、お茶うけの友をテーブルに載せるのが好みである。
お茶うけの友は「日常」で、ご飯のおかずは「非日常」的な印象があるのだ。
だって、三度三度の食事とはいえ、日に三度しか眼前に現れないというのは、常日頃から眼前に並んでいても違和感が無いものと比較すれば、日常からずれてしまっている印象があるでしょ。
ま、個人的な価値観の偏見でしょうがね。



そんなことを思いつつ、昨日は熱燗とチーカマで夜なべしました(T_T